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古賀恵介の部屋

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記憶と学習

おそらくはハード面での脳の成立とソフト面での統合的外界像の成立と前後する形で、記憶という機構が認識の働きに加わったと思われる。記憶が登場するまでは、個体は、基本的に、遺伝的に受け継いだ定型的行動パターンを感覚情報を基にした現状分析に適用する形での行動しかすることができない。しかし、記憶という仕組を持つことにより、個体が自己の経験から得た情報のうち生活過程にとって重要なものを脳に貯蔵し、それを必要に応じて意識に取り出して、行動決定の際に用いることができるようになる。学習という認識過程の登場である。また、それまでは“今”しか存在しなかった外界像に、“過去”という時間的拡がりが出来てくることにも注意しなければならない。

記憶情報には、情報の一般性のレベルから考えて、論理的に2つの段階を区別することができる。一つは、個別事例情報である。これは、個別の経験そのままの記憶情報であり、自分の生活環境の中で起こった出来事や、水や餌のありかがどこにあるか、といったような事柄である。この種の情報は、外界の記憶対象の側に変化がなければ、そのままでも行動の指針として役立つものである。

もう一つの段階はパターン情報である。多くの個別事例に接する中でそこに共通する物体・動き・関係などが見出される場合、その共通性をパターンとして記憶するのである。パターンは、個別事例の中の各事例ごとに異なる部分は捨象して抽出されるものなので、記憶対象の側に多少の変化があったとしても、パターンに反しない限り“同じ”ものとして扱うことができる。つまり、それだけ状況への対応能力に関して柔軟性が高まるということである。あらためて言うまでもないが、個別事例の情報からパターンを抽出するのが一般化という認識活動である。

あらためて言うまでもないが、一般化の能力こそが、言語のもとになる概念という認識の基盤をなすものである。外界の様々な事物を(自らの生活に必要な範囲内で)グループ分けして捉える能力(カテゴリー化能力)は、生物の最も原初的なものにも既に備わっていると考えられる。そうでなければ、自らの餌となるものとそうでないものを区別することさえできないからである。ただ、原初的生物においては、それは、あくまで定型反応や本能的反応のレベルに留まるものであって、自己の生活経験の中から得た情報を記憶に組み込むという形での一般化能力は、記憶機構が整備されければ達成することは不可能である。

更新情報

2016年9月12日NEW
ページデザインを一新しました。
2013年7月1日
言語論下のページを改訂しました。
2009年11月23日
認識論下のページを改訂し、社会と文明共有認識を追加しました。
2009年11月12日
子育て認識の自由性を追加しました。
2009年11月9日
認識論を追加しました。