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古賀恵介の部屋

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子育てと文化

教育と文化

生物の進化が哺乳類と鳥類(ひょっとしたら恐竜)を生み出すまでは、基本的に子供は産みっ放しであり、子供は、生まれたら自力のみで生きていかなければならなかった。ということは、何を食べ、どのような環境で過ごし、どうやって繁殖するか、というようなことに関する行動決定においては、本能という形で遺伝的に受け継いだ行動様式と自らの個体経験しか頼るものがないということである。

しかし、生物進化が哺乳類・鳥類を生み出すに至って、本格的な子育てという生活過程が登場し、この限界を突破することが可能となってきた。すなわち、単に子供に餌を与えて庇護するだけでなく、養育過程において、餌の取り方や敵との相対し方、寒い冬の過ごし方など、生活にとって必要な諸々の知識を教え込むことができるようになったのである。教育という活動の萌芽である。

また、教育が成立するためには、子供の側が親の行動を真似ることができなければならない、という点にも注意すべきである。つまり、親という他個体を信頼し、その行動のうちのあるものを自らの利益になるものとして受け入れ、それと同じように行動してみようという意志を持ち、そのための身体制御ができるようになっていなければならないのである。

また、親の側から言えば、子という他個体の養育のために手間暇をかけ、ときには自らの危険も顧みないような自己犠牲的な行動がとれる心性が働くような認識機構が発達していなければならない。愛情という心的機構の萌芽をここに見てとることができる。

教育の登場により、親の世代が獲得した知識や行動様式を、遺伝によらずに子供の世代へと伝えることができるようになった。また、子供にとっての学習は、自らの経験のみに頼る行き当たりばったりなものだけではなく、親の世代までに受け継がれてきた(「生存にとって適切な」という意味で)合理性のある知識・行動を効率的に受け継ぐという面を持つようになったのである。これこそが、人間に至って、文化という形で花開く、知識・行動様式の継承・蓄積の萌芽である。

集団生活とコミュニケーション

子育てを行なうということは、複数の個体が家族(或いはそれを超えるような群れ)というまとまりを作り、協力しながら生活していくということでもある。たとえ行動の多くの部分が本能による導きのもとにあるにせよ、集団での生活を行なうためには、個体どうしの間で何らかの形で認識の伝達がなされねばならない。ここに、コミュニケーション(認識伝達)という活動が登場してくる必然性が存在している。

コミュニケーションが成り立つためには、他の個体の中に心的活動が存在し、そのあり方をある程度こちらが推し量ることができるという認識が個々の個体に備わっていなければならない。このような認識自体は、哺乳類の登場以前から存在したであろうと思われる。なぜなら、集団生活をしない動物であっても推測能力を備えておれば、捕食行動や縄張り争いや求愛行動の際に、他の個体の行動を分析しながらこちらの出方を決めるというような認識のあり方が発達しているであろうと考えられるからである。

このような、他の個体の認識のあり方を推測するという認識活動が本格的なコミュニケーションになるためには、他の個体の認識に働きかけて、その行動に影響を与えることができなければならない。そのような認識形態が出現するためには、養育過程のおける親と子の認識の交流や、そういう家族関係を軸とした集団内での協同行動の積み重ねが必要であろうと思われる。ここにおいて、仲間に何らかのシグナル(発声、身振り、グルーミング etc.)を出し、仲間の方も、それを何らかの意味を持つものとして解釈し、それに基づいて行動するという本格的なコミュニケーションが現れることになる。尤も、人間以外の動物の場合、諸行動が生存・繁殖のための直接的必要性に規定されている(つまり本能に縛られている)という面が極めて強いため、人間ほど多様な内容を持つことはないであろう。が、それでも、猿や類人猿では、他の個体の認識のあり方を頭の中で推測し、それをもとに他の個体に、親和的なものから敵対的なものまで多種多様なコミュニケーション的な働きかけを行なうことがある、という事実には注目しておくべきである。

更新情報

2016年9月12日NEW
ページデザインを一新しました。
2013年7月1日
言語論下のページを改訂しました。
2009年11月23日
認識論下のページを改訂し、社会と文明共有認識を追加しました。
2009年11月12日
子育て認識の自由性を追加しました。
2009年11月9日
認識論を追加しました。