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古賀恵介の部屋

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認識の自由性

人間以外の動物の認識のあり方は、本能(生存・繁殖の必要性を満たす方へと認識を誘導する生理的機構)と個体経験の記憶によって限界づけられている。つまり、

  • 本能の強い制約を受け、生存・繁殖のために直接必要でない認識はできるだけ持たないようになっている(高等哺乳類の場合は、条件次第ではその制約がかなり緩むこともある)
  • 記憶は、個体が直接経験したに事柄に関するものでしかない

ということである。

これに対して、人間の認識は、言わば、世界に向かって開かれている。もちろん本能に影響される部分も当然あるわけだが、基本的欲求(食欲・性欲・睡眠欲など)など、認識の基底部分で働くもののみであり、具体的な認識のあり方を強く制約するものではない。また、場合によっては、本能が認識の働きによって押さえこまれてしまうこともあるくらいである。故に、人間は、生存・繁殖のための直接的必要性を超えて、様々なものに興味を持ち、認識の対象として注意を向け、記憶に刻みつける。また、その対象に働きかけ、その結果を更に観察しながら、対象の変化の仕方やその因果関係を調べてみようとしたりする。

また、人間は社会生活を営む中で、言語をはじめとする様々なコミュニケーション手段を発達させ、他人の認識を受け取りながら成長し生活することを常態化してきた。その結果、認識世界が多重化し、個体経験の範囲を遥かに超えた巨大な拡がりを持つようになったのである。直接見たり触ったりしたことのない事物のことをコミュニケーションを通じて“知る”ことができ、それを手助けとして自ら経験したことのない世界のあり方を思い描いて、自らの認識の地平を広げていくことができるようになったのである。

認識そのものの多様化に応じて、コミュニケーションの方法・内容も多様化し、本能の制約と個体経験の狭い範囲という限界を突破するようになる。形式面で言えば、メッセージの伝達という性格を最もストレートに持つ合図・身振りや言語だけでなく、絵・図・彫刻など何らかの物体的形象に自己の視覚的認識を再現するものや、音楽・舞踏などのように音や身体運動を通じて相手の娯楽的感性に訴えかけるという形をとるものに至るまで様々なものがある。また、内容面で言えば、食物・衣服・建物やその他の必要物資に関わる実用的な知識から、教養・娯楽・芸術に至るまで、これまたもって多種多様である。

人間は、このように開かれた認識活動を持つようになったがゆえに、その認識世界の中は極めて複雑で、個性的で、無限と言ってもいいほどの多様性を備えるようになったのである。

更新情報

2016年9月12日NEW
ページデザインを一新しました。
2013年7月1日
言語論下のページを改訂しました。
2009年11月23日
認識論下のページを改訂し、社会と文明共有認識を追加しました。
2009年11月12日
子育て認識の自由性を追加しました。
2009年11月9日
認識論を追加しました。