認識論
言語は、人間の認識活動の所産の一つである。それ自体は音声や文字といった人間の認識から独立した物質的存在形式を備えているとは言え、その内容は人間の認識と分かち難く結びついている。従って、言語の特質を捉えるためには、人間の認識活動の全体像を理解しておく必要がある。
では認識とは何か?認識とは、動物が外界に関する情報を自らの中に蓄え、行動を制御しながら生存に役立たせるための情報処理の仕組である。生物は、代謝を行なうことで身体を維持し、繁殖することで自己の複製をこしらえ増殖していく。生物の中でも、動物は動き回りながら代謝を行なうことで生存を維持する。そこで、運動において生存と繁殖の確率を高からしめるような仕組を内在化させることになった。それが、感覚器官・運動器官と両者をつなぐ神経系である。認識とは、この神経系において、感覚器官を通じて入ってきた外界に関する情報を処理し、それに応じて適切に運動器官を制御する機構のことである。従って、認識には、下等な動物の認識から高等な動物の認識に至るまで、様々な種類・レベルのものが存在する。
中でも人間が他の動物を遥かに超えるほどの高度な認識能力を備えていることは、誰も否定しようのない事実である。が、その認識能力とて、人間に至って突然現れてきたものではなく、気の遠くなるような長い進化の歴史の中で、一つ一つ段階を踏みながら獲得されてきたものである。従って、人間に至るまでの認識の進化の道筋を論理的に辿ってみることなしには、人間の認識能力のあり方を正しく理解することはできないのである。