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古賀恵介の部屋

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対象指示の構造

私たちが日頃から使っている言葉のあり方を反省してみると二つのことに気づく。一つは、「机」「椅子」「本」「書く」「歩く」「座る」などといった多くの単語が、何らかの事物(モノやコト)を指し示している、ということである。このように、言葉が事物を指し示す働きを指示(reference)と呼び、言葉によって指し示される事物のことを指示対象(referent)と呼ぶ。

対象指示

つまり、我々が言葉を使うときには、何らか対象と、ある音声や文字の表象との対応関係を創り出す、ということをやっているのである。

では、言葉が事物を表すとき、そこに、(上の図にあるような)事物から言葉への単純でストレートな対応関係が成り立っているかというと、そういうわけでもない。これは、絵の場合と比べてみるとよくわかる。絵は対象となる事物の形・色などの視覚的特徴を、線や色を用いて平面上に再現しなければならない。つまり、絵を見れば、その視覚的特徴の再現性ゆえに、それが何を表しているかは(通常は)大体わかるのである。しからば、言語の場合はどうか?例えば「机」という語が何を指しているかは、日本語話者にとっては(当り前のことだが)自明である。しかし、日本語がわからない者にとっては、まったく想像もつかない。言語は対象の感覚的特徴を写し取るわけではないからである。では、言語は一体どうやって対象を表すのか?

それは、対象と一定の言語表象(音声・文字)の結びつきを社会的な取り決めとして保証することによってである。つまり、犬が対象であれば、「イヌ」という音声(或いは「犬」という文字)を対応させるというように、対象と言語表象との間の対応関係を取り決め、それを決まりを社会の中で共有することによって、その対応関係が理解されるように保証しているのである。この対応関係は、社会的に共有される限りにおいてはどのように設定されていてもよい。我々が通常「イヌ」と呼んでいる動物を是が非でもそう呼ばねばならないという必然性は、別にない。実際、英語では dog、ドイツ語では Hund、フランス語では chien というように、それぞれ違う名称で呼んでいる。このように、対象と言語表象の間には「社会的な取り決めでそうなっている」という以上の対応関係は存在しない。これが、かのソシュールが「恣意性」と呼んだ言語の特質である。

これは、人間が意識的な表現という活動を本格的に行なうようになった動物だという点から見ても、極めて重要な特質である。表現というのは、自らの認識のあり方を他の個体に伝達する活動のことであるが、認識そのものを直接に伝える方法は(テレパシーでも使わない限り)存在しない。そこで、人間が辿りついた方法は、ある物を表すのに別の物を以てする、という方法である。これを代替指示と呼んでおこう。目標の物を指し示すのに、それを直接指差したり、目の前に提示したりすれば、簡単に済むことではある。しかし、それがいつもできるとは限らない。目標物がいつも見えるところにあるとは限らないし、簡単に移動させることができないものかもしれない。そもそも目に見えないものかもしれない。そういった場合、その目標物のことをどうやって他の個体に伝えるのか?それが正に、代替物を設定して、それと目標物との対応関係がわかるようにする、という代替指示の方法なのである。

考えてみれば、絵や図も代替指示の一種であり、その点では言語と共通している。ただ、絵や図は、見ればそれが何を指し示しているかは、その視覚的再現性ゆえに大体わかるのに対して、言語の場合は、目標物と代替物の対応関係が何らかの形で取り決められ、その取り決めを諸個人が共有していなければ、理解可能ではない、という点が異なっている。それゆえ、言語は社会的取り決め(言語規範)に則って運用されなければならないのである。

しかし、話はこれだけでは終らない。上に挙げた「机」「椅子」などの語が用いられる過程をよく見てみると、もう一つの重要な点に気づく。これらはいずれも一つ一つの個体につけられた名前ではなく、その対象物が属する類につけられた名前である、ということである。「机」と言えば、私の目の前にある机を表し得るのみならず、大きさ・形・色・素材などの特徴がどのようなものであっても、とにかく机でさえあれば表すことができる。つまり、言葉というのは、対象を、それが属する類の認識というフィルターを介して指し示すのである。この類の認識のことを概念(concept)と呼ぶ。

概念を介した対象指示

つまり、言語における対象指示の特徴は、「代替指示を行う」ということと「概念を介して指示を行う」ということの2点にあるのである。

補足 1 言語過程説

以上説明した言語の本質的構造の二つの側面を

  • 言語は、対象-認識-表現という表現過程をその背後に持っている
  • 言語は、対象を概念(=類の認識)を介して指し示す

という形で明確な言語本質論としてまとめあげたのは、言語過程説を提唱した国語学者の時枝誠記と、その批判的継承者である三浦つとむである。

補足 2 固有名詞の指示構造

語の中には、類ではなく、特定個体と直接対応関係を持つものもある。固有名詞がそれである。例えば、人の名前に対しては、類ではなく特定個人が対応する。ペットの名前でもそうであるし、地名もまた同様である。つまり、固有名詞においては、言語表象と指示対象が通常の意味の類の認識を介さずに対応しているのである。

しかし、そこに類的認識がまったく介在していないかというとそうでもない。既に、三浦つとむが解明しているように、固有名詞は、対象をその固有性(或いは、同一性 identity)の面で表していると言える。たとえ、特定個人であっても、生まれてから死ぬまでに絶えず変化していき、その姿が少しずつ変わっていく。しかし、その変化していく個人にあっても、他の誰でもないその人自身であるという事実は変わることがない。この、個人における変化の中の不変の相が固有性である。

そもそも、事物の多様な現象形態の背後を貫く不変の部分を本質的一般性として抽出し、それを類認識にまとめ上げるところに概念という認識が成立する契機が存在する。そして、本来の意味での類ではなく、特定個体の認識にこの同じ認識活動が適用されることにより固有性という概念が出来上がってくるのである。従って、固有名詞は、その表現過程からすれば、確かに言語としては例外的なものではあるが、そこにも対象の類的把握という言語の一般的な性格が貫徹しているということができる。

更新情報

2016年9月12日NEW
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2009年11月12日
子育て認識の自由性を追加しました。
2009年11月9日
認識論を追加しました。