雑記 2009年8月5日
「彼は6年間死んでいる」?
英語の現在完了形の継続用法の例は、日本語に訳すと「~ている」と訳されるものが多い。
- a. It has been raining since yesterday.
b. 昨日からずっと雨が降っている。 - a. I have been studying for three hours.
b. 3時間も勉強している。
ところが、「~ている」と訳するとおかしくなってしまう例もある。
- a. He has been dead for six years.
b. ??彼は6年間死んでいる。
(cf. 彼が死んで6年になる。) - a. They have been married for 20 years.
b. ??彼らは10年間結婚している。
(cf. 彼らは結婚して10年になる。)
3b の日本語は、解釈不可能ではないが、まるで、彼がそのうち生き返ってくるかも、と言っているかのようなニュアンスが感じられるのは私だけではなかろう。私が 3a のような例文を見たのは、確か高校の英文法のテキストでだったと思うが、その当時でも「へ~、不思議なもんだなぁ。何故なんだろうなぁ。」と思ったことを記憶している。
では、1~2 と 3~4 では一体何が違うのだろうか?
英文の方で最初に目につくのは、1~2 では述語部分に動詞の現在完了進行形が使われているのに対して、3~4 では形容詞や受動態過去分詞(と言うか、分詞形容詞)が使われていることである。これは結構重要な点なのだが、それだけでは説明のつかない例もある。
- a. She has been asleep for three hours.
b. 彼女は3時間眠っている。 - a. They have been aboard the plane for nine hours.
b. 彼らはその飛行機に9時間乗っている。
そもそも英語の方は、状態継続でありさえすればどれもOKになるわけだから、そこだけを見ていてもその背後にあるものはなかなか見えてこない。それよりも、注目すべきは日本語の例文の方、特にその動詞の時間的特性なのである。
1b、2b、5b、6b で用いられているのは活動動詞と呼ばれるタイプの動詞で、ある動作が始まって、しばらく続いた後に終了するというタイプの出来事を表している。以前の記事でも述べたように、テイルには大きく分けて進行と完了の二つの意味があるのだが、この種の動詞がテイル形を取った場合、典型的に進行の意味になる。(もちろん、完了の意味になることもあるが。)
それに対して、3b と 4b でテイル形になっているのは、主語の一方向的状態変化を表す動詞である。「死ぬ」というのは、生きている状態から死んだ状態への変化を表す動詞であるし、「結婚する」というのも、未婚の状態から既婚の状態への変化である。そして、これらの動詞がテイルと結び付くと、その変化の完了を表す意味になる。それゆえ、「彼は死んでいる」「彼らは結婚している」は、それ自体では、何らおかしな表現ではない。
問題なのは、テイル形が継続時間を表す句と共に用いられて、「**の間~している」という形になった場合である。何故かということはまだよくわからないが、継続時間の句は完了のテイルと相性が悪いのである。つまり、「死んでいる」という形になった場合、死ぬという変化が完了したこと、及びその結果状態が現在成り立っているということは表すことができるのだが、その状態が現在までどのくらい継続しているか、ということは表すことができないということである。(その表現上の欠損を埋め合わせるために、3~4 の cf にあるような「~して**になる」という決まり文句的フレーズが存在している。)
英語の形容詞の方を見てみると、dead や married は一方向的変化が起こった後の結果状態を表す形容詞であるのに対して、asleep や aboard は、ある程度の時間その状態が継続した後、終了して元に戻る、つまり、活動動詞とよく似た時間構造を持つ出来事を表しているということがわかる。
以上まとめると、今回取り上げた問題は、日本語の動詞の持つ時間的特性とテイル形の二義性、及び、完了のテイル形が持っている特殊性(継続時間を表すことができない)にその原因があるということである。
補 足
興味深いことに、「死んでいる」「結婚している」は、その変化が起こった時点を表す時間表現と共起することが可能である。
- 彼は6年前に死んでいる。
- 彼らは10年前に結婚している。
その一方で、単に「彼は死んでいる」「彼らは結婚している」と言えば、時制的には一応現在の状態を表しているように見える。この事実をうまく捉えるには、認知文法の profile と base の概念を活用して説明するのが得策のように思われるが、それはまた別の機会に考えてみたい。