LingLang
古賀恵介の部屋

ホーム雑記一覧 > 雑記 2013年7月16日

雑記 2013年7月16日

人間における情報処理の多層性

情報処理センターのコラム『情報の糧』の再録第4弾である。2011年7月に書いたものを手直ししてある。


「情報」というと、一般にすぐに思い浮かぶのは、コンピューターやそれに関連したIT技術にまつわる形での「情報」概念である。しかし、人間を含めて、生物はみな何がしかの情報処理を行いながら生きている。いや、そもそも情報処理を行わなければ、生きていくことはできないのである。そして、人間においては、進化の歴史の中で獲得されてきた、質的に異なる多層の情報処理が行われていることを理解しておくべきであろう。

人間が行っている情報処理は、体内情報処理と外界情報処理の二系統に大きく分けることができる。前者は、体内の器官・組織・細胞で起こる諸反応であり、ある特定の刺激に対して特定の反応が起こるという、いわば、自動反応系になっている。例えば、物を食べれば、特別に意識せずとも胃や腸をはじめとする内臓器官が消化・吸収をしてくれるし、体温が上がり過ぎれば、発汗してそれを冷やそうとする。心臓は寝ていても勝手に動いて血液を体内に循環させてくれる。その他、数えきれないほどの種類の反応が、私たちの生命の一瞬一瞬を支えてくれているのである。これらの自動反応は、起源的に言えば、最も単純な生物にも見られる情報処理過程であり、仕組みの面から言うと、進化の最も古い遺産だということができる。

これに対して、外界情報の処理過程が高度に発達するのは動物(それも脳をそなえた動物)においてである。動物は正に「動く生き物」であり、生存のために動き回ることにその本質がある。そして、適切に動き回るためには、外界の状況を知覚し、それに合わせて様々な動きを機動的に行えるようになっていなければならない。そのために発達したのが意識という仕組みである。感覚器官を通じて間断なく入ってくる外界情報(これにはある程度の体内情報も含まれるが)を選択・統合して、外界のリアルタイムなイメージを脳の中に構成し、それに対して、必要に応じていつでも何らかの判断を下し、行動を行うことができるようになっている状態が、まさに意識なのである。

しかも、人間においては、意識は、リアルタイムな外界情報の単純な反映ではない。そもそも、「外界情報」自体が、感覚器官 → 神経系 → 脳(更に、脳の中で数次にわたる段階的処理)という選択・統合の過程を経て意識に現れてきているものであるし、それに加えて記憶と想像というものが絡んでくるからである。記憶によって、過去に経験した事柄の情報(の一部)が知識として保存され、必要に応じて意識に取り出して来れるようになっている。また、想像力によって、記憶情報やリアルタイム情報を様々に組み合わせたり変更したりすることで、外界に存在するかどうか定かでない(或いは、存在しない)情報を自由に作りだすことができる。それゆえ、人間の意識は、リアルタイム外界情報のみから成っているわけではなく、時間的・空間的に(可能性としては)無限の広がりを持っているのである。

加えて、人間は社会を構成して生きている動物であり、他者との様々なコミュニケーションを通じて情報を入手し、自分の知識と意識世界を拡大していく。教育やその他の情報交換活動(おしゃべり・読書など)によって、自分が生まれる遥か前に起こった事柄や、自分が暮らしている場所から遠く離れた地で起こっている事柄についても、自分の意識世界の中に組み込んでいくことができるのである。また、そうして得られた情報をもとに、未来のことや未知のことについて想像を巡らせてみることもできる。「無限の広がり」とはそういうことである。逆に、他者とのコミュニケーションがなければ、個人の知識・意識世界は、その人の直接経験で得られた情報のみで構成される限定的なものになってしまう。その意味で、コミュニケーションは、個人の直接経験という限界を突破するための重要な道具だと言えるだろう。

ところが、その一方で、個人の直接経験を超えたところにある情報は、あくまで間接情報であり、嘘・デマといった誤った情報である危険性も常にはらんでいる。又聞きや噂話を全面的に信用することの怖さは多くの人々が知っていることであろうが、世間一般的に信用できると思われているニュースソース(e.g. 大手マスコミ)でさえ、まったくのデマとは言わないまでも、情報隠しや巧妙な印象操作をやってくることがある。いや、そればかりではない。自分自身の直接経験でさえ、それを意味づけし、解釈しようとすると、誤った思い込みに陥る危険性がある。意識世界には、(意識しようがしまいが)常に想像の産物が入り込む余地があるからである。つまり、人間の知識や意識世界は誤情報から決して逃れられない運命にあると言ってよいのである。

人間は、社会的動物である以上、他者と関わることなくしてまともに生活していくことはできない。そして、他者との関わりでやり取りされる情報の大半は間接情報である。つまり、種々の程度の誤りを含んでいる可能性のある情報なのである。従って、その情報の正しさを常に検証するという姿勢を、個人レベルでも社会レベルでも忘れないことが何よりも重要であろう。

雑記一覧へ

更新情報

2016年9月12日NEW
ページデザインを一新しました。
2013年7月1日
言語論下のページを改訂しました。
2009年11月23日
認識論下のページを改訂し、社会と文明共有認識を追加しました。
2009年11月12日
子育て認識の自由性を追加しました。
2009年11月9日
認識論を追加しました。