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雑記 2008年7月25日

否定極性表現

前回 yet の使われ方の特異性を説明する中で、否定極性表現(Negative Polarity Items)と呼ばれる語句があることを紹介した。通常の肯定文には現れず、否定やそれに類する特殊な認識を表す文にのみ使われるという特異な性質を持った語句である。前回は any, ever, yet, at all だけを紹介したが、実は否定極性表現はこれだけではない。というか、一般に否定極性表現という場合、以下のような、仮想の最小限度を表すものの方が数の上ではむしろ多い。

  1. He didn't lift a finger to help her.
  2. He would not eat a bite of it.
  3. He wouldn't budge.
  4. He didn't bother to come.
  5. He didn't care to cook his meals.

日本語でも「指一本ふれていない」とか「人っ子ひとりいない」のように、仮想の最小限度を表す否定極性表現が数多くあるし、他の言語でもこのタイプのものは非常に多い。「全くない」ということを言い表す際に、仮想的に最小限度を設定してそれを否定するという表現法は、人類に共通したレトリックみたいなものなのかもしれない。このタイプの否定極性表現を仮想最小限度タイプと呼んでおくことにしよう。このタイプが用いられるのは圧倒的に否定文であり、たとえ疑問文の中で用いられることがあっても、否定的なニュアンスが強く出ることになる。その点で、前回取り上げた任意選択タイプ(any, ever, yet, at all: 特に any)が中立的な疑問文でも用いられ得るのと違いがある。

この両方のタイプに共通するのは、指示対象の仮想性ということである。疑問文や否定文の認識が成立するためには、まずは、その問題の状況が仮想的に思い浮かべられなければならない。そうすることで初めて、その状況が成り立つかどうかを問うたり、「いや、成り立たないのだ」と否定してみたりすることができる。つまり、いったん便宜的に仮想世界を作ってみる必要があるのである。そして、この仮想世界に暫定的に設定された対象を表すための専用表現が否定極性表現なのである。だから、否定極性表現は事実をそのまま述べるようなタイプの文(通常の肯定文)とは相性が悪い。対象の仮想性・暫定性と肯定文の内容(事実の断定的主張)が矛盾するからである。

しかし、前回も補足の中で触れたように、疑問文や否定文でなくとも、否定極性表現が用いられる環境がある。例えば、以下のようなものである。

  1. If you have any trouble, don't hesitate to call me. (条件節)
  2. This diamond is as large as any I have ever seen. (7~9 比較表現)
  3. This diamond is larger than any I have ever seen.
  4. This diamond is the largest I have ever seen.
  5. It's amazing that he told you anything like this. (感情的叙実述語の補文)

これらの環境に共通しているのは、やはり仮想世界の中に暫定的事物を設定するという認識過程が含まれていることである。条件節や比較表現にそのような過程が含まれていることは、少し考えれば誰の目にも明らかであるが、10 についてはちょっと説明が必要かもしれない。10 の amazing のような語は感情的叙実述語(emotive factive predicate)と言って、

  1. that 節の中の内容が事実であることを前提とする
  2. that 節の表す事態に対する感情的反応を表す

という性質を持っていることが知られている。A の性質は否定極性表現の仮想性・暫定性と一見矛盾するようであるが、実はそうではない。amazing という形容詞の意味からわかるように、「彼が君にこんなことを言う」なんてことは予想外の事態なのである。そこで、その事態をそのまま取り上げるのではなく、とりあえず現実世界から切り離して仮想世界に移し、いろいろな可能性と比較対照した上で、「そんなことが起こるなんて!」という気持ちを込めて表現しているのである。10 を日本語に訳した時に現れる「なんて」という接続表現も同じ心理過程を表すものである。因みに、否定極性表現以外にも、この心理過程を表す表現が英語にはあって、「感情の should」(emotive should)という名前で知られている。

  1. It's amazing that he should tell you anything like this.

ついでに言うと、この should は、英語の歴史の中では近世の頃に発達した用法であり、それまでは仮定法現在形が用いられていたものである。(それについては、また別の機会にお話ししたい。)

補 足

大学の第2外国語でフランス語・ドイツ語などを習った方は御存知だろうが、英語と地理的にも言語系統的にも密接な関係があるこれらの言語には、任意選択タイプの否定極性表現がない。例えば、英語の疑問文・否定文で yet が使われるところをドイツ語とフランス語で見てみると以下のようになる。

  1. Has he come yet? (英語)
  2. He hasn't come yet.
  3. Ist er schon gekommen? (ドイツ語)
  4. Er ist noch nicht gekommen.
  5. Est-il déjà venu? (フランス語)
  6. Il n'est pas venu encore.

ちょうど日本語で「もう来ましたか?」「まだ来ていません」と、疑問文と否定文で異なる語を用いるのと同様に、ドイツ語・フランス語でも schon/noch, déjà/encore という違った語が使われ、英語との間にズレが生じるのである。

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