雑記 2008年7月14日
yet の不思議
中学校で現在完了形を習う時に、その完了用法のところで already と yet という副詞も一緒に教わるのだが、その yet の使い方について「不思議だなぁ」と密かに思った方は多いのではないだろうか。実は、私もそうだった。この二つの副詞の肯定文・疑問文・否定文における使われ方を見てみると以下のようになる。
- He has already come. (彼はもう来ています。)
- Has he come yet? (彼はもう来ていますか?)
- He hasn't come yet. (彼はまだ来ていません。)
ポイントは疑問文と否定文における英語とその日本語訳のズレである。英語では、疑問文・否定文の両方に yet が使われているのに対して、その日本語訳は「もう ~ か?」「まだ~ない」となるのである。これは一見すると、yet の意味が疑問文では「もう」、否定文では「まだ」というふうに正反対になってしまっているように見える。何故か?
この謎を解く鍵は英英辞典の記述にある。では、英英辞典には何と書いてあるのか?3つほど挙げてみよう。いずれの辞書も「疑問文・否定文で使用」と断った上で、以下のようにパラフレーズ(言い換え)している。
- up to the present time (Collins COBUILD English Dictionary)
- by this time, until now (Oxford Advanced Learner's Dictionary)
- until the present time (Cambridge International Dictionary of English)
つまり、「現在に至るまでの時間を振り返りながら、文の表す出来事が起こったかどうかを確認していく」というのが疑問文・否定文の yet に共通する意味要素なのである。別に yet の意味が疑問文と否定文でひっくり返っているわけではない。因みに、『ジーニアス英和辞典』にも、
- [否定文で] まだ、今までのところ
- [肯定の疑問文で] もう、今までにもう
とちゃんと書いてある。ならば、どうしてこの yet は疑問文・否定文にしか用いられないのか、肯定文で使うとダメになってしまうのか、ということが問題になってくる。何故だろうか?
実は、この yet と同じ性質を持つ語が英語には他にもある。any, ever, at all である。これらの語句も、yet と同じく、疑問文・否定文には用いられるが、通常の肯定文には用いられない。
- ×He bought any shirts.
- ×He has ever visited this place.
- ×He goes to that supermarket at all.
英語学の世界では、これらの語句をまとめて否定極性表現(Negative Polarity Items)と呼んでいる。肯定の意味を持つ文では用いられず、何らかの形で、“否定”に関わるような環境にのみ登場するからである。では、これらの語句に共通する意味要素は何だろうか?
それは、ある範囲の諸要素の中から任意のものを一つ選び出すという心の働きである。意味論の世界ではこれを任意選択(random selection)と呼んでいる。
数量詞 any の場合は、ズバリその数量が任意選択の対象となる。それゆえ、Did he buy any shirts? と言えば、彼が買った可能性があるシャツの枚数の範囲から任意の数を選び、その枚数買ったかどうかを尋ねるという意味の文になるのである。また、否定文 He didn't buy any shirts. では、任意の数を選び、それを否定するのであるが、どの数を選んでも否定されるので、結局すべての可能性が否定されて、He bought no shirts. と同じ状況を表すことになるのである。これに対して、肯定文だと「任意の数を買った」ということはあり得ない。買った数は必ず特定の数であるはずであり、「どんな数でもよい」ということにはならないからである。上の例 4 がダメなのはそういう理由である。
ever にも任意選択の意味が含まれていることは、この語が at any time とパラフレーズできることからも明らかであろう。すなわち、文の表す出来事が起こる可能性のある時間の中から任意のものを選び出すという機能なのである。そして、これに「現在(あるいは特定の基準時点)まで」という制約がついたのが yet である。それゆえ、yet の意味をより正確にパラフレーズするなら at any time up to the present time というふうになるであろう。(at all は・・・御自分で考えてみていただきたい。)
ここで述べた任意選択というのは仮想の世界の中でしか成り立たない。否定極性表現が通常の肯定文と相性が悪いのは、正にこの仮想性という性質が通常の肯定文には見られないからである。これに対して、any と yet の対立語である some と already には(任意性と対立する)確定性とでも言うべき性質がある。そのため、肯定文で使われるのが普通であるし、たとえ疑問文で用いられた場合でも、肯定的な含意を持つのである。
- Could you lend me some money?
- Has he already come?
補 足
「否定極性表現は、通常の肯定文では用いられない」と書いたが、「通常の肯定文」以外の環境だと否定文や疑問文の中でなくても現れることがある。詳しくは次回あらためて論じるが、一つだけ、本日述べた yet の持つニュアンスが明確に感じられる例を挙げておく。
- He is the best player yet.
- He is the best player ever.
yet を最上級とともに用いると「これまでのところで最も~」という意味を表す。そもそも最上級という意味構造が成立するためには、「ある範囲の複数の要素をずらっと並べて比較し、どれが一番であるかを調べてみる」という心の働きが必要になるが、yet はその要素配列に「現在までのところ」という時間的な限定をつける働きをしているのである。また、b のように ever を用いたときとの違いは、yet の場合、「現在までのところ」という制約をつけることにより、こののち彼を越えるプレーヤーが現れるかもしれないということを匂わせている、という点である。